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暦の地図
本来、暦は方位を示す地図のような役割を果たしていたという説があります。
現在のカレンダーは12ヶ月を四角で区切られてしまっているのでイメージしにくいですが、旧暦を円の状態に図面のように広げ、春が東、秋が西、陽から陰へ自然界のエネルギーの流れに合わせて時計回りの順序で並べたときに見えてくるのは、神社の参道が示す方位、古墳の向き、それらを直線で結んだときレイラインといわれる線が繋がってくることが分かってきます。
そのパズルが理解できたとき、日本の年中行事や地名が持っている本来の意味が見えてくるはずだと思っています。

世界を見渡したときに、Emperorの称号を使用しているのは日本の天皇のみで、天皇が暦のシンボル的な役割を果たしているとなれば、満州事変を引き起こした石原莞爾の言葉も理解できると思います。
「人類が心から現人神(あらひとがみ)の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である。」
これは、西洋式の暦が世界を支配するのか、日本式の暦が世界を支配するのか、ということにも捉えることができると思います。

暦が地図のような役割を果たすようになった起源がいつどこから始まったのかを妄想します。
もし、太陽の軌道に沿って人類の歴史が東へ移っていったとすれば、起源は日本から遥か西に位置するんじゃないかと考えていたところ、『サハラ、砂漠の画廊』タッシリ・ナジェール古代壁画をテーマにした野町和嘉氏による写真展が本日おこなわれるという情報を聞き、新宿のコノカミノルタプラザまで足を運びました。
Le Grand Dieu
紀元前約7000年前の壁画に描かれていたのは、かつてサハラが緑におおわれていた時代に住んでいた狩猟民の絵でした。

狩猟民が描いた絵の中には牛の絵が多く、神を表しているような白い巨人の周辺に妊娠した女性達が描かれていたり、東西南北に計って描かれた意味不明な壁画も残っていて、暦に関係あるのかどうかは野町さんにも分からないとのことでしたが、文字も残っていないこの時代にはまだ暦の概念はなかったんじゃないかと個人的には思いました。
壁画以外に古墳もそのまま残っていて、全て東を向いた造りになっているそうで、この時代には既に太陽信仰は始まっていたとも考えられます。

現在は砂漠化してしまっているサハラですが、今から約5000年後には周期が戻り、再び緑が蘇るだろうと野町さんは予測していました。
Posted by GOOKI
GOOKI日記comments(2)trackbacks(0)
コメント。
野町さんのギャラリートークは、Googleアースをモニターで写して、写真と照らし合わせての説明だったから面白かったよ。
音声を録ってきたけど送ろうか?
[ posted by GOOKI ] [ 2010/05/02 2:02 PM ]
へぇーー
全部東に向いてたんだ。太陽信仰かぁ。
モアイが島の内側を向いて建ってたこと思い出したよ。
あと5000年後に再び緑が蘇るって予測もすごいね。なんか神秘的。
野町さんの質問とかしたのかな?ギャラリートーク行きたかった!
[ posted by JUN ] [ 2010/05/02 12:54 PM ]



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